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「高齢社会では”女性の力”が重要」 92歳の現役シニア・アドバイザーが訴える

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92歳にして現役のシニア・アドバイザーを勤める先川祐次氏。現代と同じく高齢社会だった戦時中の体験を振り返りながら、”年齢の格差”の解消、そして高齢社会を乗り切る切り札としての”女性の力”を訴えます。(TEDより/この動画は2013年1月に公開されたものです)

【スピーカー】
シニアライフ・アドバイザー 先川祐次 氏

【動画もぜひご覧ください!】
Time is the Present. 格差を無くして明るい高齢社会: 先川 祐次 at TEDxFukuoka

■高齢社会では、年齢の格差が縮まる

先川祐次:こんにちは、みなさん。私、こんな経験があるんですよ。休日のショッピングセンターで、向こうの方から顔見知りのお嬢さんが歩いてきて、2人連れなんですね、近寄ってきて。「今日はショッピング? 姉妹でいいねぇ」って話しかけたら、「いいえ、これは母です」って。

日曜日の公園で、坊やが遊んでいる。お父さんと2人だと思ってお世辞のつもりで、「坊や、いいねえ。休みの日にパパと一緒で」と言ったら、「おじいちゃんだよ」。老眼ですからね、私。そんなふうに見えるんですよ。

考えてみれば、高齢社会になったということは、私が勘違いするぐらいに歳の差が縮まっちゃってるんですよね。つまり、年齢の格差が縮まってきているということなんです。だからこう考えてみたんです。高齢社会を明るくするには、いろんな社会にある格差、そういうものをなくせばいいんじゃないか。

今まで私たちが持っていた、型にはまった考え方。もしかしたらそれが、心遣いのつもりだったのが、差別になったり格差になったりしていることだってあると思います。長く生きられるようになったということは、早く死ぬ人が少なくなってきているわけですから。

多くの人が長生きできるということは、私たちが持っている年の格差がなくなってきている。そんな事を思って、ぜひこの格差をなくしたらいいんだ、ってことを考えるんですが、そういうことになったのは、2つ、私に思いがあるからです。1つは、私ごとなんですが、自分の奥さんの話です。

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私たちは、大陸から引き上げてきました。戦後にここ、博多へ来た時は、無一文でした。でも、私の奥さんは何をしたかったのか、戦災孤児のところへ行って世話を始めたんです。そして私はうまいこと新聞社に入って、それからまもなく海外に出るようになって、イランやイラク、遠くはエチオピアに行っていました。

1年ぐらい家を空けることもありました。それで、帰ってきましたら、奥さんが私に「保育園を作りたいのよ。だからあんたもお金出して」と。私は言いました。「悪いけど俺、金はないけど、精神的援助は惜しまないよ」。

そしたらですね、「あんた、それじゃあ日本のベトナム戦争援助と同じじゃない!」と言われました。それから、彼女は女子大時代の友達と一緒になって、ウーマンパワーで保育園を作っちゃったんです。それから何十年、私は私で海外を飛び回り、私の奥さんは一生懸命保育園をやりました。

「あいつ、女房を働かせてうまいことやってやがる」なんて陰口もきかれましたけど、たった1つ守ったのは、お互い勝手なことをして、相手に干渉しないこと。だから入れ違いもあって、夫婦げんかはいっぱいしました。あんまり頭にきたもんだから、奥さんに「あんたはソクラテスの妻だ!」って言いました。そしたら彼女、「それにしては、あんた偉くならないわねぇ?」。

そう言われて、私、ギャフンと参っちゃったんですよ(笑)。でもある時、彼女が肝硬変になって、救急車を呼びました。その時駆けつけてくれた救急隊員、それは、幼い時にその保育園を出た卒園児でした。その救急隊員は私の奥さんを抱きかかえて、「園長先生、大丈夫だよ!」と、救急車で病院へ連れて行きました。それが最後の旅立ちでした。

■「あの人、歳だから……」は差別

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もう1つあります。ケネディ元大統領が亡くなって、ちょうど今年で50年です。私はその頃はワシントンにいて、特派員として毎日ホワイトハウスに通うのが日課でした。ケネディという人は、とても明るい人、そしてフランクな人ですから、よく突然「今から記者会見」なんてやるんです。だから油断も隙もないんですけどね。

ある時、庭で休んでいたら、例によって「今から記者会見」と。みんなワーっと走りまして、80人ぐらい。私も走りながらちょっと隣を見ましたら、白髪の、年の頃は70を過ぎたぐらいのカメラマンが大きな脚立を担いで……、昔ですからね、脚立も大きいんです。そしてカメラも、スピグラというプレス仕様の大きなカメラを担いで、ふうふう言って走った。

その横を若いアメリカ人の記者が一緒になって走っているんだけれど、脚立を持ってやろうとしないんですね。自分は自分で走っている。私はふと思いました。「日本ではこんなこと先輩にさせないのに」って。

このことが気になったので、後でアメリカ人の記者の友だちに「あれ、どういうことかね?」と聞いたんです。そしたら、「君、あのカメラマンが歳だからできないと言うんだったら、それは差別だよ。彼は、ホワイトハウスのカメラマンだというプライドを持って、一生懸命やっているんだ」。そう言われて私はハッとしたんですね。

この2つのことが、実は私の、自分の考え方のものさしになっているんです。

【続きはこちら】

■戦時中の高齢社会を乗り越えた手段とは?

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編集部より:この記事は huffingtonpost.jp 様の2014/07/09の投稿を転載させていただきました。